子ども達に、背中を押されて。

東日本大震災 |
2013年 12月 5日




ボランティアストーリー002-01

以前から、子どもに関するボランティアを行っていた我妻さん。震災後も大学院に通いながら、子どもの居場所づくりや学習の機会を増やすことを目的とした団体のスタッフとしても活動されてきました。
ですが、震災直後は災害ボランティアに「行くことができなかった」そう。
そんな我妻さんの背中を押したのは、やっぱり子ども達だったそうです。

Q.これまでにどんなボランティアをしていたのですか?

もともと教育に関心があったのですが、大学で「NPO」や「市民活動」という言葉に出会って、自分でもボランティアをやってみようかな、と思うようになりました。
大学時代は保育や小学校での学習支援のボランティアをしました。あとは、「子どもの権利条約フォーラム」の運営に携わって、学生スタッフのまとめ役のようなこともしていました。
「子どもの権利条約フォーラム」は、全国の子ども・教育関係のNPOが集結する機会だったので、「逃してはいけない!」と思って。その後、自分でNPOを作って、「子どもの権利」を宮城で普及させる活動をしたいなと思っていました。そのために、継続的に子どもの権利に関する勉強会を開いたりもしていました。

Q.精力的に活動していたのですね。

当時は、自分が団体としてボランティアを受け入れるなら、という立場で「ボランティアってなんだろう?」と考えていましたね。

Q.生まれも育ちも宮城県塩竈市ということですが、震災当時はどんな状況だったんでしょうか?

あの日はちょうど家にいて、これからバイトにいこうかな、という時でした。
塩竈といっても自宅は海の近くではなかったので、自分の住んでいた地域は、あまり被害は大きくありませんでした。

震災後、ボランティアセンターが開設されて、ガレキ撤去のボランティアが募集されたのですが、「行きたい」という気持ちはあったのに、どうしても行く気になれなかったんです。
震災前までみんなで勉強会をしたり、「ボランティアがどうこう」なんて考えていたのに、自分が参加する立場になったら行けなくて。周りで災害ボランティアに参加している人たちと比べて、「なんで自分は行けないんだろう・・・」と思いました。
友人にも「我妻くん、ボランティア行ったんでしょ?」と当たり前のように聞かれて。「行ってない」と言うと驚かれました。

Q.「行く気になれなかった」というのはどんな状況なのでしょう?

実は、震災の起きた3月に、何度かボランティアセンターには行ったんです。
集合時間に集合場所の近くまで行ったんですが、そこで毎回引き返してしまって。そんなことをほぼ毎日繰り返していました。一週間たってもやっぱり行けなくて「ああ、これはだめだな」と、そこから行くのを止めました。
理由はたぶん、自分が結構人見知りだからじゃないかな・・・。がれきを片付けるボランティアって、みんなで協力するイメージだったので、輪の中に入れるのか不安がありました。
震災前までいろいろ活動してたのに、自分は災害ボランティアに行けなくて・・・地元に対しても何もできていないなってモヤモヤ悩んでいました。

Q.その後はどう過ごしていましたか?

震災ボランティアではないのですが、2011年の夏ごろ、ハーベストというNPOで市民講師のボランティアをしました。自分のやりたかったことはこれだったかも!と楽しかったですね。
その後「子どもの権利条約フォーラム」で知り合った方の紹介で、石巻の子どもを支援するNGOのスタッフとして半年くらい活動しました。
それまで、自分の中で「震災」には触れないように過ごしていたのですが、石巻の子どもたちをみていて「自分にもできることがあるのかも」と思い始めました。

Q.ご自身の中で、どんな変化があったのでしょうか?

それまでは、震災について見てみぬふりをしようとしていたんですが、しっかり見られるようになりました。子ども達と接していると、「次の世代を生きる子達に、何か残していかなきゃいけない」という気持ちがわいてきて。
その頃から、震災ボランティアに参加しやすくなって、いろいろと顔を出すようになりました。

Q.それから現在の活動について教えてください。

今は、チャンスフォーチルドレンという団体で継続的にボランティアをしています。家の経済状況にかかわらず、子ども達に学習の場を提供する活動です。具体的には、子どもたちの相談に電話で応じたり、進路についてお話したり。ボランティアだけでなく、一時期は団体の運営に携わる有給非常勤スタッフとしても関わっていました。ゆくゆくは自分でNPOをつくりたいと思っていたので。画期的な支援の仕組みがどう成り立っているのかなど、いろいろと勉強になりました。

ボランティアストーリー002-03

他にも、AIR JAM 2012やGAMA ROCKといった音楽フェスでのボランティアなど、体力系の活動もするようになりました。みんなで力をあわせる体力系の活動は、最初は戸惑いがありましたが、やってみると結構楽しかったです。人見知りなのであまり初対面の人と話せなかったけれど、無理して話さなくても一緒に頑張れるんだなとか、ボランティアが終わった後もつながっていてイベントの声をかけてもらえたりとか。

Q.ボランティア、もっと参加しやすくなるにはどうしたらいいと思いますか?

僕、ボラセンって苦手なんです・・・。ボランティアって特別な人がやるという意識がちょっとあって。自分は、どちらかというと誰かから声をかけてもらって「よし行ってみよう」となるタイプで。自分から出向いていったり、たくさんある中から選ぶというのは苦手です。いっぱいあると、選べなくなってしまうし。
なので、身近な人から紹介してもらうというのが一番参加しやすいですね。そういう意味では、Facebookとかtwitterは良いです。facebookは友人からの誘いですし、実は僕の参加したボランティアはtwitterで見つけたことも多かったです。twitterは、自分のタイムラインに流れてくるので、自分に向けられていると感じるんですよね。でも、ほかのWEBサイトとか、ボランティアセンターとかは、自分が行かなくても他の人が行くんじゃないかと思ってしまう。
あと、最初に電話をしなきゃいけないとかは緊張します・・・。twitterに流れている情報に申し込みフォームがついていたりすると助かります。笑
活動が始まると問題ないのですが、やっぱり踏み込むまでが大変。だから、踏み込みやすさがほしいなと思います。

Q. 最後に、これからボランティアをやってみようかなと思っている人や、たとえば震災直後の我妻さんご自身に何かメッセージを伝えるとしたら?

「やれる範囲からでいいんじゃないかな」と声をかけたいです。やってみるまでの努力が本当に大変だけど、はじめてみれば、得られるものの方が多かったです。
自分は、誰かに背中を押してほしかったなと思うんです。僕の場合、背中を押してくれたのは石巻で出会った子どもたちでした
何でボランティアをするのかな?って考えると、大げさで偏っているかもしれないけれど、「子ども達のため」だと思います。なかなか踏み込めなかった、直視できなかった震災のことに自分を踏み込ませてくれたのも、子ども達でしたし。

 実は今後、地元塩竈で、大人も子どもも集まれるような場所を作りたいと思っています。学校ではなくって、町の大人たちがいてそこに子どももいる、というような場所を。大学や院で研究している生涯学習や社会教育を、そういう場作りを通して実現できたら良いなと思っています。地域で育つ子ども達のために、自分の思いを還元していきたいですね。

取材:宮本裕子
プロフィール

ボランティアストーリー002-04 我妻卓さん(25歳)
職業:大学院生
住まい:宮城県塩竈市



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